(第34回)配当金倍増のトレンド


26日、3月決算企業の中間配当が落ちました。好業績維持の自信から中間配当実施に踏み切る企業が多く、全上場会社では2兆円規模の配当金が支払われます。
多くの投資家は、売買の際に1株利益やPERを気にかけても、配当金がいくらかはあまり気にしません。だから、売買したあとに思いがけなく配当金をもらうと、余禄がついたと思って喜んだり、こんなにいい配当をしている会社と分かっていたら売るのを早まらなかったのにと悔やんだりします。
しかし、株式投資にとって本来、配当金が価値の源であることは疑いありません。株主の権利は、議決権など経営に関する権利を除けば、配当を受け取る権利に尽きます(会社解散の際の残余財産の分配金も含める)。たとえば先日上場したばかりのミクシィのようにいまは無配の成長会社も、その理論的な投資価値は、将来に受け取ると予想されるすべての配当金の現在価値の合計です。
 

26日終値現在、東証1部平均の予想配当利回りは1.21%です。予想PERが19.3倍で、その逆数の益回りが5.18%ですから、配当性向は23.4%です。
この配当水準について、対照的な2つの意見がよく言われます。
1つは、預貯金金利と比べて魅力的で、株価は割安という意見です。
もう1つは、国際的に見た場合、まだ米国の半分の利回りしかなく、日本株は配当面からも割高という意見です。
この2つの意見のうち、どちらが正しいのか? その鍵を握るのは、もし日本の金利が米欧並みの水準に復した場合に、企業の配当能力がどうなっているかです。
金利が上昇したとき、配当利回りがそれに応じて上昇しないとすれば、前者の割安意見は、簡単に否定されてしまいます。しかし一方、金利上昇に応じて企業の配当能力が増加するとすれば、金利の低い日本の配当利回りが低いのは当然であり、後者の割高意見が否定されます。
すなわち、今後予想されるのが、経済の拡大と企業業績の底上げの結果としてのよい金利上昇であるなら、前者の割安意見が正しく、経済の拡大と企業業績の底上げを伴わない悪い金利上昇なら、後者の割高意見が正しいという結論になります。
一般的には、今後の日本は、緩やかに経済拡大が進む中で、それに応じて金利が上昇していくと見られ、前者の意見が正解という結果になると私は考えます。


5年後を大胆に予測すれば、日本企業が株主に払う配当金は、現在の2倍になっているのではないでしょうか。
その要因は、最終利益の増加と配当性向の増加が半分ずつです。
現在は多くの企業が内部留保を当然のように優先していますが、成熟した在来産業の場合、拡大戦略をとらなければ、設備投資額は減価償却費と大きくは違わないはずです。したがって、大半の成熟企業は、内部留保を優先する大義名分に欠けており、借入金返済と自己資本充実の動きが一巡すれば、おのずから配当性向は高まっていくと見られます。成熟企業では、配当性向50%以上が普通になり、その結果、配当利回り5%以上の銘柄も珍しくはなくなると予想します。


87年にNTTが初めて売り出された頃、やはり政府株を放出したBT(英国電々)の売り出し価格は、10%超の配当利回りで、両国政府の考え方の違いに驚いたものです。NTTは、第1次売り出し価格でさえ、0.4%であり、しかもそれが上場で2倍以上にはね上がり、金融当局が積極的に関与した形で株式バブルが進行しました。
それから20年近くがたったいま、配当利回りが預貯金金利よりはるかに上回るという点では隔世の感があります。ただし、現在の利回り1.2%は、長期的な視点では到底魅力的とはいえません。2%台の電力株だってそうです。長期的な視点で好利回りといえるのは、少なくとも5%以上でしょう。
やや先を考えれば、不動産ファンド以外の株式投資でも5%以上の好利回りを期待することのできる、本来は普通の状態が近づいていると私は思います。

(第33回)本当に安いと思えるとき


財産を何倍にも増やせる千載一遇の買い場というものがあります。たとえば03年の4月の大底時です。
このとき、みずほは5万円台でしたが、長銀日債銀のように株券無効の笛が鳴る可能性をささやかれていたので、投資に踏み切るには覚悟が必要でした。しかし、それほどの覚悟がなくても、127円の新日鉄や363円の日立、860円の松下、70.6万円のミレアなら買えました。結果的には10倍以上になったみずほ、丸紅や合同製鉄などリスク感の強い銘柄にはなかなか手を出せなくても、これらの銘柄でなら、デフレが永遠に続くものではないという普通の感覚があれば、比較的安心して投資を実行し、比較的容易に数倍高をえることができたのです。


千載一遇のチャンスは、字義通りなら千年に1度しかありませんが、株式投資では、上に述べたような「千載一遇」と表現したくなる絶好の買い場が、この15年間の中でも、2〜3年に1度はあったという結果になっています。
日本株は、90年のバブル崩壊以降、大きな反発局面と大きな下落(もしくは調整)局面を2〜3年のサイクルで繰り返してきました。93年以降、日経平均は3回(数え方では4回)2万円台に乗せ、そのたびに平均株価が50〜60%上昇し、個別銘柄では数倍化するものが輩出しています。もっとも長く厳しかった2000年4月からの下げ局面も3年ちょうどで終わり、2000年代では、上述の03年春に続き、去年の夏が平均株価60%高の買いチャンスになりました。
この結果、投資家の意識の中には、1つの方向への動きはそう長くは続かない、下がったらいずれ反発するし、上がったらいずれ反落するという経験が刷り込まれているようです。去年の夏からの強い上昇がこの春に終った以上、次の買いチャンスが来るのには時間がかかると多くの投資家が感じています。
しかし、買いチャンスは、2〜3年に1度だけなのでしょうか? あるいは逆に、これからも2〜3年に1度、千載一遇の買いチャンスがやってくるのでしょうか?


私は、その点で、考え方を大きく変える必要があると思います。すなわち、市場全体が極端に売られたあと、一転全面高に転じるというような意味での劇的な買い場は、もう簡単に巡り合えないと思ったほうがよいと思われるのです。
その理由は、まず第1に、企業収益では説明できない高みからの崩落とリバウンドが激しく交錯した時期が終わり、今後の平均株価は、企業収益を冷静に評価しながら、わりと安定的に形成されていくだろうと予想されることです。第2に、今後の日本経済は、91年以降の米英のように景気の波が平準化され、企業収益も総体としては安定した動きを示す可能性が強まっていることです。
平均株価で見る限り、今後は投資家の心理が激しく揺れ動く要素が減少し、極端な楽観によって収益無視の水準に上昇することや、極端な疑心暗鬼によって「千載一遇の買い場」まで下落することが起こりにくくなるのではないでしょうか。


一方、個別銘柄の株価で見れば、まったく話が別になります。企業ごとの業績はめまぐるしく浮沈し、先週述べたようにアナリストの価値判断も大きく変化します。市場全体の安定とは裏腹に、個別銘柄はもちろん、業種別あるいは銘柄タイプ別で見ても、市場心理は今後もますます激しく揺れ動くでしょう。
したがって、逆説的ですが、個別銘柄で見る限り、「千載一遇の買い場」はこれからも大いにありえます。
実は、私は、ハイテク株や新興市場の成長期待株の多くは、現在「千載一遇の買い場」といってもよい時期を通過中なのでないかと考えています。
日米のハイテク株に底入れ反転機運が台頭する一方、新興市場株は7月に次ぐ安値水準に売られてきていますが、おそらく近い将来、なぜあのときはあんな安値に売られただろうと不思議になる銘柄がこの中から出てくるだろうと私は思います。


日立や新日鉄などの大物株を選んでも楽々と儲かるような「千載一遇の買い場」はなかなか来ないと予想される一方、ある程度のリスクを割り切ることができれば、本当に安いと思える銘柄がいまの新興市場には石ころのように転がっているはずです。
やや迂遠な述べ方になりましたが、それが今回申し上げたかったことです。

(第32回)バリュエーションの揺らぎ


IT関連の親分格ともいうべきソフトバンクについて、外資系アナリストから妥当株価が900円であるとか、1340円であるとかいう見解が発表され、そのたびに新興市場などのIT関連銘柄が軒並み売られました。
妥当株価を算定することをバリュエーションといいます。一見、合理的で緻密な作業のように思えますが、どんな方法を採ろうと、将来に対して一定の条件を付与したうえで成り立つ仮説にすぎません。本質的に大まかなものにならざるをえず、かつ付与する条件の小さな異同によって算定結果は大きく違ったものになります。
ソフトバンクの場合は、ヤフーなど既存事業の成長率をどう見るかに加え、ボーダフォンから買収した携帯電話事業を10月下旬からの番号継続制の開始でどう見るかが大きな問題で、人によって天と地ほども意見の分かれるところです。負債も巨額なら、成功か失敗かの収益落差も巨額である以上、判断する立場によって評価が大きく変わるのは当然で、時価の半分以下の900円という妥当株価の算定が出てきても、本来それほど驚くべきことではありません。


かつて、国内の調査レポートでは、アナリストが目標株価を記すことはありませんでした。その1つの理由は、営業の現場で断定的な判断あるいは利益保証などにつながりやすい土壌があったことでしょうが、根本的な理由として、日本人のアナリストに株価を積極的に判断しようという気風が乏しかったことがあると思います。
もっぱら営業だった私も、95年から翌年にかけて1年半だけ調査業務に携わったことがあります。新任にあたって、銘柄ごとに妥当株価を算定して、割高割安について明確な判断を示したいという方針を掲げたところ、部員から総スカンを食らいました。株価判断を数字で明示しようとはとんでもない思い上がりだというわけです。
いまでも結構そういう人がいますが、どちらに転んでもいい無難な「予想」を述べることを仕事だと思っている人が普通でした。たとえば「上昇が期待できよう」と書いてあっても、よく見ると「・・・・・で市場心理が悪化しなければ」という条件がついており、根本的にはなにも予想していない「予想」を述べる職人でした。
その点、外資系証券に雇われているアナリストは、同じ日本人でも、株価判断に対する意気込みが違います。進取の精神で、常識や値ごろ感の破壊に取り組んでいる姿勢を評価できます。また、現在では、日系証券のアナリストも堂々と自分の信じるところを述べる人が増えてきており、好ましいことに思われます。


だから、私は、ソフトバンクの目標株価を900円だ、1340円だというアナリスト意見それ自体を批判するわけではありません。
ただ、指摘したいことは、アナリストも人の子である以上、状況に流されやすいということです。株価が安いとき、アナリストは、素人投資家と同じかそれ以上にも悲観的になりやすいというのが経験的な事実です。
たとえば以前、メガバンクの評価で、三菱東京UFJに対するアナリストの評価はつねに高く、みずほは最低でしたが、パフォーマンスは逆になりました。しかも、みずほに対する評価は、株価が上昇するにつれ高まっているので、現実の推移を評価が後追いした形になっています。
3年前のみずほには高いリスクがありました。しかし、そんなことはアナリストに聞かなくても分かることです。金融情勢が好転し始めてからも、株価が安い頃には、みずほ株を積極的に推奨したアナリストはほとんどいませんでした。むしろ、一般投資家のほうがよほど正しい投資判断をしていたのではないかと思われます。


将来はつねに「?」で、株価の一寸先は闇です。そのような中、我々は手探りで将来を選択していくわけですが、重要な岐路に立ったときどちらに進むか、その判断の巧拙には、アナリストも素人もないと私は思います。アナリストは、情報を分析し集約する点ではプロといえるものの、生の極限状況の中で、将来を予想し選択するという点では、普通の人間でしかありません。
アナリストが妥当株価は○○円だと言ったとき、その判断の方法や考え方は大いに参考にすべきものの、判断の結果については、眉に唾すべきです。
まして、現在のソフトバンク新興市場株のように、株価が「もう」か「まだ」かで切実な岐路に立っている状況では、アナリストの意見は、ともすれば状況に流されやすい自分と同じ人間が考えていることとして、冷静に聞く必要がありましょう。

(第31回)TOPIXと日経平均


多くの人が、相場水準の物差しに日経平均を使います。TOPIXが30ポイント上昇したと聞いてピンと来ない人がいても、「日経平均が300円高しましたよ」と言うと、「おう、そうか」とすぐ伝わります。
米国でもわずか30銘柄のダウ工業株平均(いわゆるNYダウ)が親しまれる背景には、株価の上げ下げを表現するのに、ポイントという無機質な単位より、ずばりドルという金銭単位のほうが実感的に伝わるということがあるようです。
しかし、日経平均はポピュラーな株価指数ではあるものの、東証1部全体の動向を表わす指数としては、様々な問題点があります。
その第1は、みなし額面というやや無理な基準を使って計算するため、銘柄ごとに指数に与えるインパクトが不自然に違うということです。
たとえば、NTTとNTTデータ(株価はともに50万円台)が5万円ずつ上昇した場合、日経平均に与えるインパクトは、NTTの2円に対し、NTTデータは20円です。小さな子会社のほうが10倍も影響度が強いというのは不合理です。
TOPIXでは時価総額に浮動株を加味して算出するので、影響度は逆になります)
問題点の第2は、日経平均の最大長所は、戦後再開以来の連続性のはずですが、その連続性に疑問があるということです。特に、2000年のITバブル天井時における大量銘柄入れ替えによって、指数の性格はまったく別物になった感があります。


バブル崩壊後の90年代と現在の相場水準を比較するとき、日経平均で見るか、TOPIXで見るかによって、風景はまったく違ったものになります。
日経平均で見れば、今年の4月高値17,563円は、90年のバブル崩壊以降の3回の高値①21,552円、②22,666円、③20,833円にまだ遠く及びません。史上最高値38,915円に対して半分以下の水準で、かつ90年代の平均的な水準にさえ及びません。
一方、TOPIX で見れば、今年の4月高値1783ポイントは、90年代の高値①1712、②1722、③1754を上回り、バブル崩壊後の高値を更新した形になっています。加えて、史上最高値2884ポイントに対しても62%の水準まで回復しています。
TOPIXの連続性についても、株価の勢いが強い新規上場銘柄の上昇によってかさ上げされていうという点で疑問の余地があるものの、少なくとも特定の銘柄群の値動きに過度の影響を受けないという点では、日経平均に勝っていると考えられます。


日経平均TOPIXの割合をNT倍率といいますが、その倍率の長期的な低下が生じた理由は、日経平均が①バブル期に小型含み資産株でかさ上げされていた、②多く採用されていた三流株が90年代に売られた、③それを2000年のITバブル時にハイテク株中心に大量に入れ替え、その後もその傾向が続いているということなどです。
目先的には、日米にハイテク株の巻き返し機運があり、NT倍率が回復に向かう(つまり、日経平均TOPIXの10倍を超えていく)ことが考えられますが、代表的な指数としての重要性や、指数先物取引の対象としての役割は、今後も緩やかに低下していく可能性が高いと考えられます。


03年から今年4月までの上昇は、回復期の相場として、バブル崩壊後の戻り高値への挑戦でしたが、TOPIXで見れば、それをみごと達成したことになります。
一部には、TOPIX が90年代の3回の上昇と同じ1700ポイント台で反落したことで、上値の重さを懸念する見方もあります。しかし、PERの水準がまったく違うことでも示されるように、企業業績はかつてとは比較にならないほど厚みを持っており、90年代の3回の上昇のように、1〜2年の上昇でエネルギーを使い果たし、元の黙阿弥の安値に落ちていくことにはなりそうもありません。
むしろ、TOPIXが次の上昇で4月高値を更新した場合、日本株は「失われた90年代」にはっきりと区切りをつけ、米英の90年代の相場と同じく、安定的な経済成長と効率的な企業経営を評価する相場を形成することになると考えられます。


日経平均だけ見ると、90年代の上値の壁が大きく立ちはだかり、株価回復の道のりはまだ遠いということになりますが、違う見方をしてみる必要がありそうです。
TOPIXの動きが示すとおり、我々はもうすでに回復期の相場を終え、いまは新しい上昇相場に向かうための始動段階にあると考えたほうがよいと思われます。

(第30回)業績相場を考える


次に来る本格上昇が、業績相場と位置づけられるのは間違いありません。
日本経済は、長いゼロ金利時代を終って、金利正常化の時代を迎えようとしています。もし金利上昇に向けて無事に離陸(ソフト・テイクオフ?)できれば、失われた90年代のロスを取り戻すような経済拡大も夢ではありません。
老大国の英国でさえ、91年以降は不況知らずの着実な成長が続いています。高齢化の進む日本の将来も、それほど悲観したものではないかもしれません。
現在はまだ疑心暗鬼の状態で、次に来るのが上昇相場かどうかさえも怪しいと思っている人がたくさんいますが、少なくとも日本経済に対する根本的な悲観論は減少しつつあります。もし楽観論が再び力をえて、4月高値を上回るような上昇が実現した場合、それはもはや回復期の相場(金融相場)ではなく、もっと前向きに、将来の経済成長の可能性を買う相場になっていくはずです。


楽観論が再び力をえる時期としては、10〜11月が非常に有力です。1つは中間決算発表時に増額修正が続出すると見られること。もう1つは、11月で景気拡大期間がいざなぎ景気を超えて史上最長の4年10ヵ月目に達することです。
数字的な伸びが著しい企業業績はともかく、景気のほうは、すでに4年半拡大が続いているといっても、GDPの伸びは小さく、ほとんど実感を伴いません。期間が史上最長に達しつつあるということで、一部の著名株式評論家は、露骨に警鐘を鳴らしています。しかし、拡大の足取りがきわめて遅々としているからこそ、いまのところ過熱感(過剰投資、過剰在庫)はまったくないといってよいでしょう。よほどのことがない限り、微温的な拡大が年を越えて持続するものと思われます。
米国は91年から10年間、かなり高い率での景気拡大が続きました。ITバブルの影響がほとんどなかった英国は、すでに15年間緩やかな拡大を続けています。
私見では、この秋は、日本経済が遅まきながら、米欧の90年代の成長にキャッチアップしていく趨勢を多くの人が認めるところになり、業績相場スタートの条件が整うときになると考えます。


金融相場が、回復期の相場として低金利を有力な買い根拠にするのに対し、業績相場は、金利上昇の中で、それに勝る業績の拡大を買い根拠とする相場です。
日曜日(26日)の日経新聞の特集記事がそういう論調であったように、常識的には、借入金が多い企業は不利、財務内容がよい企業が有利と考えられています。
しかし、はたしてそうでしょうか? 金利が上昇するということは、ビジネスチャンスが増加するということです。例えば、同じ資産規模1000億円の企業があり、一方は無借金で株主資本比率が80%、一方は借入金が600億円で株主資本が20%とし、ともに投下資本に対して年率10%のビジネスに恵まれるとすれば、金利5%、税率55%の場合、前者の株主リターン(ROE)が6.9%なのに対し、後者のそれは19.25%と2.8倍の効率差が生じます。(これを資本のレバレッジ効果といいます)
むろん、よほど景気が過熱しない限り、ビジネスチャンスは財務内容のいい企業のほうに多く与えられるので、この計算のようにはなりませんが、それを考慮しても、業績相場では負債の多い企業が不利という常識は、明らかに間違っています。


大きなトレンドで考えれば、97年頃から「二極化」が始まり、02年末には100円割れ企業が続出し、ボロ会社(つまり借金過多企業)を売る動きがピークに達しました。その後、銀行の信用回復とともにボロ会社も復権してきたものの、基本的には業種のトップで財務内容がいい会社が選好される傾向が続いています。
この動きは、かつての日本株相場があまりにも味噌糞一緒の株価形成であったことの是正として評価される一方、一流以外の二流、三流企業から将来の宝を発掘する積極的な投資家精神の発揮という点では弊害もあります。
私見では、来るべき業績相場では、ただトップだからという理由でトヨタや武田を買えばいちばん儲かるというような単純な株価形成にはならないはずです。もちろん、ただ株価が安いという理由だけで、二流、三流株が買われるようなモラルハザードの相場にもなるはずがなく、変化率と投資価値でいちばん魅力があるのはどの銘柄かという点で、様々な試行錯誤が繰り返されると予想されます。
客観的に見て、現段階では、一流株に大きな上値魅力はなく、新興市場を含めた二流、三流の株が当面の試行錯誤の焦点になる可能性が高いと考えます。

(第29回)上値はどのくらいか?


少し前まで、市場の関心はもっぱら下値の方向にありました。ここにきての上昇で、上値のことにも考えが及ぶ状況にようやく戻ったわけです。ただし、現在のところ、株価の堅調さのわりに、市場のムードは好転していません。多くの人がこの間の上昇を横目にして、強気でも弱気でもない、あいまいな気分の中にいます。
ある人に聞いたら、「それはそうだろう。上値がね・・・・」という答えが返ってきました。つまり「上がっても、当分はたいしたことがない」というしらけた気分が投資家に浸透していて、それが強気になれない大きな理由になっているようです。


日本株のこれまでの上昇過程では、03年4月から1年間の上昇後、次の1年間がまるまる調整期間となりました。その間は、日経平均の12,000円、TOPIXの1,200ポイントがどうにも越えられない上値の壁だったのです。今回もまた1年間の調整後に上昇するというような単純・図式的な繰り返しはありえないはずですが、それでも4月高値の奪回を目先的に期待することは、心理的にかなり難しいことです。
したがって、4月7日の日経平均の17,563円、TOPIXの1,783ポイントが当面の上値の壁だと考えれば、現在値からわずか8%しか上値余地がないことになります。多くの個人投資家にとって、まったく魅力のない期待上昇率です。
では、我々は当面の調整期間(短く考える人で10月まで、長く考える人は来年以降まで)において、10%未満の上昇率しか期待できないのでしょうか?


そこに様々な問題があります。多くの投資家は、市況を日経平均(もしくは稀にTOPIX)で判断します。しかし、今年に入って、日経平均と一般の個別銘柄を選択して売買する個人投資家の損益は、大きく乖離してしまいました。
一般的な個人投資家は、早い人では新興市場が高値を打った1月半ばから、遅い人でも東証1部単純平均が高値をつけた2月第1週から悪化し始めました。その後、日経平均TOPIXの上昇過程で逆に悪化していたにもかかわらず、5月の急落では一心同体でさらに悪化し、平均株価は6月に下げ止まりましたが、7月末に最悪状態となりました。つまり、平均株価は5〜6月に下げたのにすぎないのに対し、個人投資家の一般的な持ち株は、約半年にわたって下げ続けたわけです。


このような状況の中、大きく下げたから中小型株の戻りが期待できるという見方と別に、今後も個人好みの銘柄は置いて行かれ、大型一流銘柄の優位が続くのではないかと考える人が増えています。また、いっそ平均株価そのものに、たとえばETF(指数投信)のような形で投資したほうがよいと指摘するアナリストもいます。
事実、先週発表された統計によれば、日本株が強張りはじめた注目の8月第2週の売買動向では、現物では外人の買い越しは679億円にすぎませんが、日経平均先物で531億円、TOPIXではなんと1,737億円を買い越しています。
戻り高値更新の原動力は、外人のTOPIX先物買いとそれに伴う証券会社の裁定現物買いだったとはっきりいえます。(日経平均重視の日経新聞には書かれていませんが)
TOPIXは、時価総額の大きな銘柄がそれに応じたインパクトを持つ指数です。しかも裁定買いでは、時価総額の小さな銘柄は間引きされますので、先物中心のTOPIX上昇局面での恩恵は薄まります。この結果、指数に比べて個人好みの銘柄のパフォーマンスが悪いという現象が加速されてしまいます。


では、今後も大型一流株優位が続くのでしょうか?
中期的には、ファンダメンタルズがそれを決定するはずです。私見では、90年代後半に見られたような「二極化」の進行はありえないと考えます。日本経済の回復が続くとすれば、トヨタやキャノンや武田ばかりが魅力的な銘柄ではありません。4〜6月期で、再生銘柄の長谷工がついにゼネコントップの経常利益をあげたように、今後その他大勢の銘柄の中から大きな魅力を持った投資対象が出てくるはずです。また、現在はゴミタメ同然の新興市場からもスター株が出てくるはずです。
今回の平均株価の上昇は、5月に発生した経済の先行きに対する極端な不安感が後退し、広範囲の銘柄に買い安心感が生じたことに意味があります。
今後は、上値が限定された平均株価よりも、約半年間の調整を終えた中小型株(あるいは非一流株)のパフォーマンスが格段によいものになると予想されます。
ここにきて、出遅れていた銘柄が底打ち反騰の動きを見せていることから、騰落レシオ(次項で再論)が上昇し、反動を警戒する見方もありますが、趨勢的に考えるなら、中小型株は、去年のこの時期の平均株価と同様、「上値はどのくらいか?」と考える必要さえないほど強い局面にあると考えます。

(第28回)萎縮したマインドの行方


日本株は、外人買いを背景に堅調な動きを続けています。だれもが厚い壁と考えていた7月の戻り高値を抜いてきたのですから、基調は非常に強いと考えなければなりません。しかし、それにもかかわらず、出来高はむしろ減少しており、ネット証券や外務員の営業成績は、数年来の低い水準に沈んでいます。
この原因が、積極的な市場参加者の減少、特に個人取引の衰退にあることは確かです。そして、個人取引の衰退の理由は、いうまでもなく相場下落で新興市場株や中小型株を中心に莫大な損失が発生したことにあります。いま多くの投資家が自信を失い、気持ちを萎縮させています。ギャンブルに喩えれば、負けが込んで、自分の払うお金が気になり、まわりの状況を伸びやかな気持ちで観察できない状態です。


株式投資の本質は決してギャンブルではないはずですが、損得が激しく揺れ動く日々の相場の中では、しばしばギャンブルと同じ性格を帯びます。勝てば嬉しくなり、負ければ悔しくなります。負け続けた場合、たいていの人がなんとか損を取り戻そうと、ますますのめり込みます。しかし、さらに負け続けると、破滅型の人を除いて、多くの人がリスクを強く意識し、行動が慎重になります。
現在は、まさにその状態にあります。この半年は、個人好みの銘柄でいえば、3年に1度あるかないかの厳しい株価推移でした。IT関連株や新興市場株では、持っているだけで半分以下になっている銘柄が珍しくありません。個人好みの中小型株でも、半分近くになっている銘柄が珍しくありません。もしそれらを信用取引で組み合わせて運用すれば、資産が4分の1以下になっていても不思議ではない状況です。


これを書いている私自身、萎縮した内心を持っています。
このレポートを最初に出したのは2月1日です。当時は、信用買い残が6兆円に迫ろうという、まさに市場がもっとも過熱したときを迎えており、2月7日に東証単純平均は高値を打ち、信用買い残もこの週がピークとなりました。
そのような情勢の中で、私は慎重方針で銘柄を選び、1年前よりも株価位置が低い出遅れ株を、企業内容からも安全性が高いと判断して自信を持ってお勧めしたのですが、わずか1週間後に業績悪化懸念から大幅安に転じました。
最初の銘柄のつまずき以来、私は焦りや迷いから抜けきれず、典型的な曲がり屋となってしまいました。こだわりは次の失敗につながると自戒しながらも、冷静な目で状況を見ることできなかったのです。
その私も、半年をへて、ようやく達観の時期に入ってきました。多くの投資家と同じく正気を取り戻し、株の恐ろしさが身にしみたわけですが、私の場合、株から目を背けるわけにはいきません。たとえ一投資家としての私の内心は萎縮していても、その自分を客観的に眺め、株式市場の状況を冷静に判断していく必要があります。


投資家は気持ちを萎縮させたとき、おうおうにして間違った判断をします。勝ち続けたときには楽観な判断に偏りやすい一方、負け続けて気持ちが萎縮したとき、悲観的な要素を重視した判断に傾きがちです。
新聞に「米国景気に減速懸念」と出れば、やはりそうかと納得してしまいます。その懸念は株価に織り込まれており、日々の相場はその懸念の程度で揺れ動いているにもかかわらず、懸念があたかも現実のものとなったかのように株価の先行きを悲観してしまいます。もちろん、その懸念が現実化することはありうるわけですが、経験則に加え、相場の論理からも、悲観する投資家が多ければ多いほど、その悲観が現実化する確率はかなり小さいと明言できます。
私見では、新興市場株や個人好みの中小型株が1〜2月から下げたのは、楽観の反動として当然として、5月の世界株安の中でさらに下げたのもやむをえなかったとしても、6月以降の下げは、市場のマインドがあまりにも萎縮したためと考えます。


萎縮したマインドは、出来事によってではなく、株価によって回復します。今後、株価が万一失速すれば、やっぱりそうかと個人投資家の行動はますます消極的なものになるでしょうが、その確率は上述のとおりかなり小さいはずです。
多くの投資家が判断に自信が持てず、消極的な行動しかとれないとき、相場は思いがけなく強いことが多く、「閑散に売りなし」という結果になります。
投資はつねにリスクを伴いますが、おそらく投資家がリスクを強く意識している現在は、逆に安心感の高さという点で、願ってもない投資環境にあると考えます。