(第33回)本当に安いと思えるとき


財産を何倍にも増やせる千載一遇の買い場というものがあります。たとえば03年の4月の大底時です。
このとき、みずほは5万円台でしたが、長銀日債銀のように株券無効の笛が鳴る可能性をささやかれていたので、投資に踏み切るには覚悟が必要でした。しかし、それほどの覚悟がなくても、127円の新日鉄や363円の日立、860円の松下、70.6万円のミレアなら買えました。結果的には10倍以上になったみずほ、丸紅や合同製鉄などリスク感の強い銘柄にはなかなか手を出せなくても、これらの銘柄でなら、デフレが永遠に続くものではないという普通の感覚があれば、比較的安心して投資を実行し、比較的容易に数倍高をえることができたのです。


千載一遇のチャンスは、字義通りなら千年に1度しかありませんが、株式投資では、上に述べたような「千載一遇」と表現したくなる絶好の買い場が、この15年間の中でも、2〜3年に1度はあったという結果になっています。
日本株は、90年のバブル崩壊以降、大きな反発局面と大きな下落(もしくは調整)局面を2〜3年のサイクルで繰り返してきました。93年以降、日経平均は3回(数え方では4回)2万円台に乗せ、そのたびに平均株価が50〜60%上昇し、個別銘柄では数倍化するものが輩出しています。もっとも長く厳しかった2000年4月からの下げ局面も3年ちょうどで終わり、2000年代では、上述の03年春に続き、去年の夏が平均株価60%高の買いチャンスになりました。
この結果、投資家の意識の中には、1つの方向への動きはそう長くは続かない、下がったらいずれ反発するし、上がったらいずれ反落するという経験が刷り込まれているようです。去年の夏からの強い上昇がこの春に終った以上、次の買いチャンスが来るのには時間がかかると多くの投資家が感じています。
しかし、買いチャンスは、2〜3年に1度だけなのでしょうか? あるいは逆に、これからも2〜3年に1度、千載一遇の買いチャンスがやってくるのでしょうか?


私は、その点で、考え方を大きく変える必要があると思います。すなわち、市場全体が極端に売られたあと、一転全面高に転じるというような意味での劇的な買い場は、もう簡単に巡り合えないと思ったほうがよいと思われるのです。
その理由は、まず第1に、企業収益では説明できない高みからの崩落とリバウンドが激しく交錯した時期が終わり、今後の平均株価は、企業収益を冷静に評価しながら、わりと安定的に形成されていくだろうと予想されることです。第2に、今後の日本経済は、91年以降の米英のように景気の波が平準化され、企業収益も総体としては安定した動きを示す可能性が強まっていることです。
平均株価で見る限り、今後は投資家の心理が激しく揺れ動く要素が減少し、極端な楽観によって収益無視の水準に上昇することや、極端な疑心暗鬼によって「千載一遇の買い場」まで下落することが起こりにくくなるのではないでしょうか。


一方、個別銘柄の株価で見れば、まったく話が別になります。企業ごとの業績はめまぐるしく浮沈し、先週述べたようにアナリストの価値判断も大きく変化します。市場全体の安定とは裏腹に、個別銘柄はもちろん、業種別あるいは銘柄タイプ別で見ても、市場心理は今後もますます激しく揺れ動くでしょう。
したがって、逆説的ですが、個別銘柄で見る限り、「千載一遇の買い場」はこれからも大いにありえます。
実は、私は、ハイテク株や新興市場の成長期待株の多くは、現在「千載一遇の買い場」といってもよい時期を通過中なのでないかと考えています。
日米のハイテク株に底入れ反転機運が台頭する一方、新興市場株は7月に次ぐ安値水準に売られてきていますが、おそらく近い将来、なぜあのときはあんな安値に売られただろうと不思議になる銘柄がこの中から出てくるだろうと私は思います。


日立や新日鉄などの大物株を選んでも楽々と儲かるような「千載一遇の買い場」はなかなか来ないと予想される一方、ある程度のリスクを割り切ることができれば、本当に安いと思える銘柄がいまの新興市場には石ころのように転がっているはずです。
やや迂遠な述べ方になりましたが、それが今回申し上げたかったことです。