(第28回)萎縮したマインドの行方


日本株は、外人買いを背景に堅調な動きを続けています。だれもが厚い壁と考えていた7月の戻り高値を抜いてきたのですから、基調は非常に強いと考えなければなりません。しかし、それにもかかわらず、出来高はむしろ減少しており、ネット証券や外務員の営業成績は、数年来の低い水準に沈んでいます。
この原因が、積極的な市場参加者の減少、特に個人取引の衰退にあることは確かです。そして、個人取引の衰退の理由は、いうまでもなく相場下落で新興市場株や中小型株を中心に莫大な損失が発生したことにあります。いま多くの投資家が自信を失い、気持ちを萎縮させています。ギャンブルに喩えれば、負けが込んで、自分の払うお金が気になり、まわりの状況を伸びやかな気持ちで観察できない状態です。


株式投資の本質は決してギャンブルではないはずですが、損得が激しく揺れ動く日々の相場の中では、しばしばギャンブルと同じ性格を帯びます。勝てば嬉しくなり、負ければ悔しくなります。負け続けた場合、たいていの人がなんとか損を取り戻そうと、ますますのめり込みます。しかし、さらに負け続けると、破滅型の人を除いて、多くの人がリスクを強く意識し、行動が慎重になります。
現在は、まさにその状態にあります。この半年は、個人好みの銘柄でいえば、3年に1度あるかないかの厳しい株価推移でした。IT関連株や新興市場株では、持っているだけで半分以下になっている銘柄が珍しくありません。個人好みの中小型株でも、半分近くになっている銘柄が珍しくありません。もしそれらを信用取引で組み合わせて運用すれば、資産が4分の1以下になっていても不思議ではない状況です。


これを書いている私自身、萎縮した内心を持っています。
このレポートを最初に出したのは2月1日です。当時は、信用買い残が6兆円に迫ろうという、まさに市場がもっとも過熱したときを迎えており、2月7日に東証単純平均は高値を打ち、信用買い残もこの週がピークとなりました。
そのような情勢の中で、私は慎重方針で銘柄を選び、1年前よりも株価位置が低い出遅れ株を、企業内容からも安全性が高いと判断して自信を持ってお勧めしたのですが、わずか1週間後に業績悪化懸念から大幅安に転じました。
最初の銘柄のつまずき以来、私は焦りや迷いから抜けきれず、典型的な曲がり屋となってしまいました。こだわりは次の失敗につながると自戒しながらも、冷静な目で状況を見ることできなかったのです。
その私も、半年をへて、ようやく達観の時期に入ってきました。多くの投資家と同じく正気を取り戻し、株の恐ろしさが身にしみたわけですが、私の場合、株から目を背けるわけにはいきません。たとえ一投資家としての私の内心は萎縮していても、その自分を客観的に眺め、株式市場の状況を冷静に判断していく必要があります。


投資家は気持ちを萎縮させたとき、おうおうにして間違った判断をします。勝ち続けたときには楽観な判断に偏りやすい一方、負け続けて気持ちが萎縮したとき、悲観的な要素を重視した判断に傾きがちです。
新聞に「米国景気に減速懸念」と出れば、やはりそうかと納得してしまいます。その懸念は株価に織り込まれており、日々の相場はその懸念の程度で揺れ動いているにもかかわらず、懸念があたかも現実のものとなったかのように株価の先行きを悲観してしまいます。もちろん、その懸念が現実化することはありうるわけですが、経験則に加え、相場の論理からも、悲観する投資家が多ければ多いほど、その悲観が現実化する確率はかなり小さいと明言できます。
私見では、新興市場株や個人好みの中小型株が1〜2月から下げたのは、楽観の反動として当然として、5月の世界株安の中でさらに下げたのもやむをえなかったとしても、6月以降の下げは、市場のマインドがあまりにも萎縮したためと考えます。


萎縮したマインドは、出来事によってではなく、株価によって回復します。今後、株価が万一失速すれば、やっぱりそうかと個人投資家の行動はますます消極的なものになるでしょうが、その確率は上述のとおりかなり小さいはずです。
多くの投資家が判断に自信が持てず、消極的な行動しかとれないとき、相場は思いがけなく強いことが多く、「閑散に売りなし」という結果になります。
投資はつねにリスクを伴いますが、おそらく投資家がリスクを強く意識している現在は、逆に安心感の高さという点で、願ってもない投資環境にあると考えます。