(第32回)バリュエーションの揺らぎ


IT関連の親分格ともいうべきソフトバンクについて、外資系アナリストから妥当株価が900円であるとか、1340円であるとかいう見解が発表され、そのたびに新興市場などのIT関連銘柄が軒並み売られました。
妥当株価を算定することをバリュエーションといいます。一見、合理的で緻密な作業のように思えますが、どんな方法を採ろうと、将来に対して一定の条件を付与したうえで成り立つ仮説にすぎません。本質的に大まかなものにならざるをえず、かつ付与する条件の小さな異同によって算定結果は大きく違ったものになります。
ソフトバンクの場合は、ヤフーなど既存事業の成長率をどう見るかに加え、ボーダフォンから買収した携帯電話事業を10月下旬からの番号継続制の開始でどう見るかが大きな問題で、人によって天と地ほども意見の分かれるところです。負債も巨額なら、成功か失敗かの収益落差も巨額である以上、判断する立場によって評価が大きく変わるのは当然で、時価の半分以下の900円という妥当株価の算定が出てきても、本来それほど驚くべきことではありません。


かつて、国内の調査レポートでは、アナリストが目標株価を記すことはありませんでした。その1つの理由は、営業の現場で断定的な判断あるいは利益保証などにつながりやすい土壌があったことでしょうが、根本的な理由として、日本人のアナリストに株価を積極的に判断しようという気風が乏しかったことがあると思います。
もっぱら営業だった私も、95年から翌年にかけて1年半だけ調査業務に携わったことがあります。新任にあたって、銘柄ごとに妥当株価を算定して、割高割安について明確な判断を示したいという方針を掲げたところ、部員から総スカンを食らいました。株価判断を数字で明示しようとはとんでもない思い上がりだというわけです。
いまでも結構そういう人がいますが、どちらに転んでもいい無難な「予想」を述べることを仕事だと思っている人が普通でした。たとえば「上昇が期待できよう」と書いてあっても、よく見ると「・・・・・で市場心理が悪化しなければ」という条件がついており、根本的にはなにも予想していない「予想」を述べる職人でした。
その点、外資系証券に雇われているアナリストは、同じ日本人でも、株価判断に対する意気込みが違います。進取の精神で、常識や値ごろ感の破壊に取り組んでいる姿勢を評価できます。また、現在では、日系証券のアナリストも堂々と自分の信じるところを述べる人が増えてきており、好ましいことに思われます。


だから、私は、ソフトバンクの目標株価を900円だ、1340円だというアナリスト意見それ自体を批判するわけではありません。
ただ、指摘したいことは、アナリストも人の子である以上、状況に流されやすいということです。株価が安いとき、アナリストは、素人投資家と同じかそれ以上にも悲観的になりやすいというのが経験的な事実です。
たとえば以前、メガバンクの評価で、三菱東京UFJに対するアナリストの評価はつねに高く、みずほは最低でしたが、パフォーマンスは逆になりました。しかも、みずほに対する評価は、株価が上昇するにつれ高まっているので、現実の推移を評価が後追いした形になっています。
3年前のみずほには高いリスクがありました。しかし、そんなことはアナリストに聞かなくても分かることです。金融情勢が好転し始めてからも、株価が安い頃には、みずほ株を積極的に推奨したアナリストはほとんどいませんでした。むしろ、一般投資家のほうがよほど正しい投資判断をしていたのではないかと思われます。


将来はつねに「?」で、株価の一寸先は闇です。そのような中、我々は手探りで将来を選択していくわけですが、重要な岐路に立ったときどちらに進むか、その判断の巧拙には、アナリストも素人もないと私は思います。アナリストは、情報を分析し集約する点ではプロといえるものの、生の極限状況の中で、将来を予想し選択するという点では、普通の人間でしかありません。
アナリストが妥当株価は○○円だと言ったとき、その判断の方法や考え方は大いに参考にすべきものの、判断の結果については、眉に唾すべきです。
まして、現在のソフトバンク新興市場株のように、株価が「もう」か「まだ」かで切実な岐路に立っている状況では、アナリストの意見は、ともすれば状況に流されやすい自分と同じ人間が考えていることとして、冷静に聞く必要がありましょう。