(第24回)金利の復活


1999年2月に始まったゼロ金利政策は、2000年8月に一度解除されたことがあります。折からITバブルの反動が出はじめた直後で、わずか5ヵ月後には解除を撤回し、量的緩和を追加せざるをえなくなるという、きわめて悪いタイミングでした。当時の速水日銀総裁は、景況の不透明さに目をつぶって、自分自身が始めた金融政策を早く終らせることを優先したのです。言い換えれば、それほどまでに、ゼロ金利は副作用の強い非常処置であると当初から意識されていたといえます。


資本主義である限り、金利は経済活動の原点です。
人がそれぞれ自分の所持金の範囲内で生活している限り、信用が創造されず、経済は拡大しません。ある人が、別の人もしくは機関からお金を借りて何かに使えば、それが消費か投資かのいずれであっても、経済成長の第一歩が始まります。
逆説的にいえば、金を貸すユダヤの商人がいてこそ経済は発展します。金利は、経済の成長に伴う分け前であり、社会的に意味のあるインセンティブです。
ところが、その金利がゼロということは、いわば重力がないということと同じです。無重力状態でスポーツをした場合、楽といえば楽でしょうが、メリハリのないものになるでしょう。企業や個人の経済活動は、金利という重力があってこそ、その反作用で筋肉が強化され、活力と取捨選択のメリハリが生じます。
日本経済は過去7年間のうちほとんどをゼロ金利で過してきました。金利ゼロを享受できたのは銀行だけで、企業や個人はなにがしかの金利を負担したものの、その金利は大幅に軽減されており、いわば重力の軽減というハンデキャップをもらって経済活動をしていたわけです。この状態を長く続けていたら、経済社会の筋肉が徐々に蝕まれ、寝たきり老人のようにもなりかねません。
今回の解除で、日本経済がようやく真の活力を取り戻す緒についたといえます。


では、金利が復活することによって、だれが有利になるのでしょうか?
表面的に考えれば、お金を貸している人に有利であり、お金を借りている人には不利です。ところが、実際の経済はそんなに単純ではありません。
現在の米欧の株式市場の最大の懸念材料が、金利上昇による景気への悪影響であるように、金利という重力の力が強まった場合、経済活動を鈍らせる方向に力が働くのはいうまでもありません。しかし、その一方で、現実の経済はへなへなと無抵抗にしおれるわけではなく、重力に対する反作用で旺盛な経済活力が生まれます。かつて80年代初め、レーガン大統領による高金利政策時代の米国では、FFレートが10%台半ばに達する破天荒な金融情勢の中、多くの企業が20%もの金利を支払っても事業活動を継続し、後年の成長につなぐことができました。(米国企業は当時から負債より株主資本に厚みがあったから可能だった面もありますが)
まして日本では、金利が上昇したというより、やっと復活したばかりです。今後しばらくは多少金利が上昇しても、それ以上に経済活動が活発化することが十分に考えられます。そして経済活動が活発化するということは、お金の回転率がよくなることであり、お金の有利な使い途がどんどんできるということを意味します。
デフレは、何もしない人が得する経済状況でした。預貯金金利はゼロに等しくても、物価の下落を考えれば、元本価値は上昇していたのです。それに対して今後は、多少の金利を受け取っても、実質金利は逆に低下していく恐れがあると考えなければなりません。金利の復活で得をするのは必ずしも預金者ではなく、実質金利の面からは、むしろ借りる側にフォローの風が吹きはじめているという見方ができます。


株式市場においても、ゼロ金利解除の影響について、無借金で現預金の多い会社が有利で、借金のある会社には不利という常識が流布されています。上に述べた考えから、この常識は疑ってみる必要がありましょう。
無借金で現預金の多い会社は、一般的には、行動が保守的でデフレ向きです。一方、借金のある会社は、借金ができた経緯にもよりますが、一般的には行動がアグレッシブで、拡大経済向きといえる場合が多いといえます。
今後やってくるはずの業績相場では、どのような業種の、どのような銘柄が選好されるか現時点では予断を許さないものの、少なくとも金融相場のようには足元の業績や財務内容にナーバスでなく、もっと寛らかで、前向きで、動的な観点から企業を評価する株価形成になっていくと予想されます。