(第17回)他人の意見と自分の判断


投資顧問を看板に掲げている以上、株価が上がると「売り時かね?」、下がってくると「いったいいくらまで下がるのかしら?」と聞かれるのがつねです。
しかし、私は自分の勧めた銘柄であっても、歯切れよく答えられることはめったにありません。売りたいようでもあり、売るのはもったいないようでもあり・・・・。
売買の判断は、プロだから上手とはいえないことを前に書きました(第7号)。それに加えて、売買の判断が上手な人は、株価を正確に予測できるゆえに上手なのではなく、予想の当たりはずれがある中で、平衡感覚を保てる精神力の強い人であることも前に書きました(第4号)。
一寸先の株価は、だれにも見えない闇です。そのことはよく分かっていて、それでも他の人間に意見を聞きたくなるのが、普通の人間です。著名な○○が、平均株価は△△まで下がると言っているのを小耳に挟むと、まるで預言者の言葉を聞いたかのように動揺してしまいます。私自身もそうです。


我々は迷いに陥ったとき、ともすれば街の占い師にすがるように、その答えを他人の意見に頼りたくなります。しかし、そんなことをしても問題は解決しません。株価の予想が百発百中当たる名人は、どこにもいないからです。
一日のうちという超短期間では、ジェイコム株の儲けで有名になった若者のように優れた予測能力がありえましょうし、コンピュータによる売買システムも広まろうとしていますから、確実に利益を稼ぐノウハウもありえる(?)のかもしれません。
しかし、一晩を経過するだけで、予想は格段に不確実になります。
たとえば、チャート分析は、株価の勢いを認識するうえである程度は参考になりますが、その分析だけに財産を賭けるに値する信頼性があるかといえば、大いに疑問です。様々なチャートの法則を創案したことで有名なグランビル氏も、現実の相場予測では、70年代の成功のあとに80年代には曲がり屋になりました。
ファンダメンタルズ分析でも、インサイダー取引の場合を除けば、それほど画期的な予測能力を発揮している統計はありません。資産運用における好成績で有名なバフェット氏の成功は、株価を予想して当てたからではなく、株価が時間をかけてバフェット氏の信じる投資価値に近づいた結果に他なりません。最近、同氏が日本企業に興味を示していることが報道されましたが、彼の場合、他の著名評論家のように、日経平均NYダウの先行きを予想したという話は聞いたことがありません。


当たりはずれのある他人の意見を盲信せず、冷静に自分の中に取り入れ、参考にすることは難しいことです。人間である限り、自分の欲望に合致する他人の意見には衝動的に追随してしまう傾向があります。たとえば持ち株が上がってほしいと願っているとき、強気意見を聞くと、すぐそれを自分の判断に一体化させてしまう一方、持ち株が下がって不安になると、急に弱気意見が気になりはじめ、判断が分裂して、おろおろしてしまいがちです。
いっそ、他人の意見なんか聞かなければよいのでしょうが、バフェット氏ならともかく、我々がそれをやると、ただ頑固なだけの井の中の蛙になってしまいます。
おそらくは、ここでも平衡感覚が問われています。情報が渦巻く中、会議の司会をやっているような気持ちで全体の状況を把握し、意見を述べる人間の立場や、それ以外の他の人間の立場や、自分自身の立場をつねに客観的に観察し、重々しく行動することが必要なのでしょう。


私は投資顧問業を看板に掲げており、他人様になんらかのアドバイスをする立場ですが、真の任務は、会員の皆様がご自身の判断を整理・構築されるために、少しでもお役に立つことだと思っています。
長い眼で投資を続けていくために大切なことは、1回1回の成功失敗ではなく、自分自身の判断力をいかに発展的に保っていくかということです。
そのことは、私の証券投資に対する信念として申し上げたいと思います。