(第16回)悲観と楽観の間で


株価が大きく下げ始めた日に、昔の外務員仲間の集まりがあり、ため息まじりの飲み会になりました。
外務員や私のような仕事をしているものにとって、顧客の資産は生活の糧を育てる牧場のようなものです。顧客が儲かれば、当分の間の潤いが約束され、顧客が損すれば、みるみるうちに糧道が細ります。
よく喩えられるのが、「賽の河原の石積み」です。
少しずつ儲けがたまり、これでもう安泰かと思われた途端、鬼が来て積み石を崩すような非情な下げが、努力を灰燼に帰させます。
「また、いちから出直しだ」とため息つきながら杯を重ねる人がほとんどでした。もっとも、自分の手柄を自慢するタイプの人はいない集まりなので、実際はうまく切り抜けている人もいるのでしょうが・・・・。


個人投資家のほとんどは、いま自信を失い、強気なのか弱気なのかはっきりしない気分の中にいます。自分の株は、もう十分に下がっているから、これ以上は下がらないだろうと思える反面、さらにぼろぼろに下がっていくようにも思えます。日経平均は高値を打ったと思える反面、いやいや高値を打つはずがないとも思えます。
投資家および我々にとって、外部情勢が安定しているわりに現在の状況が不安に思える理由は、先週も書いたように日経平均の位置が高いことに加え、信用買い残高が高水準のまま整理が進んでないことです。
自分の持ち株の株価はすでに悲惨な状況なのに、もしかするとこれから本格的な全面安が来るかもしれないという心配があります。多くの投資家にとって、バブル崩壊後の長い悲惨な整理局面はもう二度と経験したくないものです。


相場は、悲観で安値をつけ、楽観で高値をつけます。いっそ投資家の多くが相場の先行きを悲観し、弱気の行動を採れば、その瞬間に相場は陽転するはずですが、現状を見る限り、投資家は意気を阻喪していても、悲観に完全に傾いているわけでもありません。だれもが完全には悲観しておらず、しかし楽観もしていないのです。
経験則からは、投資家の気分がこのようなとき、調整は長引きます。投資家の多くが心配しているような大幅な相場下落もない代わり、あく抜けによる強い上昇も起こりにくいといえます。よほどの外部情勢の変化がない限り、当面は答えが出ない毎日が続くことを覚悟しなければなりません。


そのような中、私自身は、ハイテク株に依然強く期待しています。
日米で再び売られましたが、いずれはハイテク株の上昇が、世界の株式市場における景気と金利のトレード・オフを発展的に昇華させると考えています。
ソフトバンク新興市場株に代表される個人好みの銘柄についても、底打ち反転は意外に早いと考えます。昨年12月から年初にまでに相当な高値を打ったことは確かで、本格的に復活するには通常2〜3年を覚悟すべきですが、その間が投資に適しない期間になってしまうということではありません。
過去の例をソフトバンクにとれば、03年には1000円台から10月に7370円まで急騰後、12月には2770円まで急落しました。しかし、1か月後には4330円まで急反発、そのあと3310〜5760円のボックス内の動きを強含みに2年近く続けました。
おそらく、新興市場の有望株のうちかなりは、もうすでに底値をつけ、戻りに転じるタイミングをうかがっている可能性が高いと考えます。


恐ろしいのは、相場全体の長期的な下落ですが、90〜03年のような実体経済の険悪な悪化を伴う下げが再来するという想定に重きを置くなら、そもそも株から撤退すべきだと思います。投資家である以上は、経済に自浄作用があり、調整をしながら発展するという資本主義の根本理念を信じるべきであり、空白の90年代が日本経済にとって無意味なことだったはずがないと肝に銘じるべきと思います。


以上の考え方は、あくまで私の主観ですが、客観的にはっきりといえることは、悲観と楽観の間で毎日右往左往し、どっちつかずにこの答えの出ない日々を過してしまうことが、いちばん資本主義にふさわしくない姿勢だということです。