(第6回)日経平均高値更新の前提


投資家の価値観は様々です。先週の<相場展望>で分類しましたように、将来の成長や収益の期待によって投資する人がいる一方、配当や資産やブランドなど、現実的でより確かなものを重視して投資する人がいます。加えて、企業の中身よりも株価の動きそれ自体を重視して投資する人もいれば、個別銘柄にではなく総体としての平均株価(インデックス)に投資する人もいます。
そのうち、どれがよくてどれが悪いということは簡単に決められませんし、決める必要もないでしょう。様々な投資家がいてこそ、市場が成立し、強弱が対立します。
ただし、株式投資を競馬や賭博とはっきり区別する点は、ゼロサムのゲームではないということです。
株には、いうまでもなく本質的な価値があります。そして、その価値は、通常の経済では成長します。この価値の成長が見込める点で、ゼロサムとは違います。


そんなことは常識だと思われるかもしれません。しかし、私の知る限り、大半の日本人は、株の本質的な価値に対する認識がきわめて曖昧です。
先日のTVで、株式投資を授業に採用している小学校が話題になり、1人のコメンテイターが「なんでそんな経済のあだ花みたいなことを教えようとするのか。もっと実体経済に即したことを教えるべきだ」と憤慨していました。
株価を「虚業」のなせるあだ花とする意識は、おそらく先進国では日本人にもっとも根強く存在するのではないでしょうか。
そして、その意識の根源に、株の価値についての認識がきわめて曖昧模糊としていて、株価がどうしても実体経済と別次元の絵空事に見えて仕方がないという精神状況があると思われます。だからこそ、ライブドアのような不祥事が起こると、何がどうして不正なのかよく分っていない曖昧模糊とした人に限って、「ほら、株の世界はやっぱりそうだ(自分は正しかった)」と安心してしまうのです。


まえおきが長くなりました。
株の本質的な価値は、究極的には、配当をいくら受け取れるかということに帰します。いくら利益成長しても、いくら資産があっても、それだけでは絵に描いた餅で、少数株主である一般投資家にとって、企業価値の唯一の回収手段は配当を受け取ることのみです。(きわめてまれに、会社の自主的な解散により残余財産の分配金を受け取った例がありますが、従業員の多い普通の会社ではありえません)
株価は、投資家が意識するかしないかにかかわりなく、「配当をいくら受け取れるか」という一点を暗黙の前提として成り立っているといって過言ではありません。すなわち、成長を重視する投資家と配当利回りを重視する投資家の違いは、本質的には、将来の配当を重視するか、いまの配当を重視するかの違いにすぎないのです。


直近の相場では、成長株が売られ、電力株に象徴される配当利回りの高い銘柄が選好されています。これは3月という季節性もありますが、それ以上に先週の<相場展望>で述べたように、将来を積極的に買うマインドが弱含むタイミングにあったということが背景にあると考えられます。
問題はいつ投資家のマインドが前向きなものに回復するかです。
その考察は次項に譲りますが、確かなことは、将来の成長や収益(すなわち将来の配当)を買う、本来的な資本主義精神が復活しない限り、日本の平均株価が力強く上値を追っていくことはありえないということです。