(第5回)何をどう考えるべきか


考えることは、株式投資にとっていつもプラスに働くとは限りません。たとえば持ち株が順調に上がって目標値に近づいているとき、いろいろ考え始めると、考えすぎて失敗することがよくあります。順調なときは、余計なことを考えるより流れに身を任せているほうがましかもしれません。
 

しかし、曲がり始めたときは違います。持ち株が無残に下がったとき、いちばん悪いのは意地になってもがくことですが、その次に悪いのは判断放棄です。損がかさむと、「考えても仕方がないから、放っておくよ」とおっしゃる方がよくいます。しかし、じたばたしないことはよいとしても、考えても仕方がないから放っておくという消極的な態度は資本主義にふさわしくありません。投資家は、問題の先延ばしも、判断放棄もせず、つねにクリアな判断力を保っていく必要があります。
クリアな判断力を保ち、曲がり屋状況から脱出するために必要なことは、まず第1に、自分がいま、場合によっては損を出すどころか、昨日までの自分をきれいさっぱり捨てなければならないような正念場に立っているという認識を過不足なく持つことです。第2に、最初からすべてを考え直して、疑ってみることです。


では、正念場に立ったとき、何をどう考え、どう疑えばよいのでしょうか?
よくこんな人がいます。仮に新日鉄を例にとれば、出来高が増えて力強く上がってくると「こんな優良企業がなぜ500円以下なのか不思議だ」と言って買おうとし、下がってくると「所詮、鉄屋は鉄屋にすぎんよ」と言って売ろうとするのです。
そのときそのとき、考えているというより、最初にご自身の感情(群集心理?)があり、それに言葉が追随しているにすぎません。そんなご都合主義の「考え方」をするくらいなら、いっそ何も考えないほうがましだといえるでしょう。


正念場で考え直すということは、たいへん難しいことです。
私自身、黒田電気の急落の過程では、様々な角度から冷静に再検討しようと努力しましたが、「弱気反対!初志貫徹!」と叫ぶ自分の中の体育会系の部分と、「もしかすると大悪材料が出て、1000円だって危ないかも・・・・」という妄想の部分が入り乱れて感情的な押し合いへし合いをやっている中で、冷静な思考はともすればかき消されそうになりました。
しかし、そのような感情の起伏があるときだからこそ、冷静に考え直す必要があるといえます。そして実は、考え直すことは難しいと書きましたが、ほんとうは難しいことではないのです。


なぜなら、正念場で必要なのは、理屈ではないからです。
何もかもが疑わしいような持ち株の急落場面で、冷静な判断力を保つために必要なのは、理屈ではなくもっと単純な「自分はこれだけは信じる」という決断です。
私の場合、黒田電気の急落の過程で、必要だったのは次の2つの判断だけでした。
一、黒田電気粉飾決算をする会社ではない。→ YES or NO
二、割安な会社は必ず水準訂正する。→ YES or NO
この2つの問いに答えるために必要なのは、信じるか信じないかの二者択一の決断です。そして、その決断には、アナリストも素人もありません。理論的な考察の問題ではなく、人それぞれの胸の中の、投資の原点の問題だからです。


投資家はそれぞれの動機と考え方で市場に参加し、成果を競い合っています。だから、投資の原点は投資家ごとに違って当然です。しかし、相場に参加している以上、だれもがつねに正念場と紙一重のところにいるのであり、それぞれの人の原点(「自分はこれだけは信じる」と心の底から主張できるもの)が実は日々の相場の中でつねに問われているのだと私は思います。
自分自身の原点は何か? 日頃からその一点(あるいは二点)に軸足に置いた自己管理に徹していない限り、新日鉄で例に挙げた人のように、そのときそのときの感情に思考が動かされ、結局株価に翻弄されるだけの日々となりましょう。