(第1回)我々はどこに行くのか?


株式投資で大切なことは、よい銘柄を選ぶということもさることながら、それ以上に、世の中の変化に対して謙虚な気持ちを持ち続けることだと思います。
幕末から維新にかけて、様々な混乱の中で「世も末だ」という第一印象に自己満足した人は、そのあとに続く社会経済のめくるめく躍動に取り残されていきました。一方、その60年後には「昭和維新」を叫ぶ人たちが、再び日本を変革しようと意気込みました。しかし、その意気込みは偏った考えに傾いており、結果的に暗黒の軍部独裁につながり、日本中を焼け野原としてしまったのはご承知のとおりです。


敗戦から60年たったいま、日本経済はどこに行こうとしているのでしょうか?
日本人の発想は、ともすれば極端から極端へと集団的に移行します。2年前には、再び戦争に負けたかのように、大部分の人が日本経済に自信を失い、暗い見方に傾いていました。バブルの絶頂時に「日本が世界一だ」という鼻息が荒かった人ほど、「日本はもうだめだ」という悲観への傾き方も激しかったようです。
「日本が世界一だ」というおごりも、「日本はもうだめだ」というあきらめも、いずれも極端に傾きすぎていたことは確かです。バブル崩壊後の長い株価低迷が、超楽観と慢心に対する反動なら、昨年秋以降の株価の急回復は、日本人のあまりにも極端な悲観と自信喪失に対する反動によってもたらされことは疑いありません。


株価の上昇と実体経済の好転が、多くの日本人にいま自信を取り戻させようとしています。特に、株式市場では、「日経平均の2万円は当たり前」というような、少し前には考えられなかったような強気が常識になろうとしています。
偏った見方が常識化することは、株価にとって本来危険です。「日経平均の2万円は当たり前」という常識によって、一部個人の投機が白熱し、信用買い残が増加している現状は危険な兆候とも言えます。


しかし、私は、日本の株価は本質的にはまだ危険な状態ではないと思います。
大きな流れで見れば、まだまだ多くの日本人が経済の先行きを危惧しているからです。少子化・高齢化に加え、米国や中国経済の先行きに対しても危惧しています。年金や生損保は相変わらず、株式の運用比率を上げようとせず、相場上昇につれ売り越しを続けており、日本人全体が株価の先行きを楽観しているわけではありません
投資家に危惧があり、強弱感が対立する限り、市場は慢心しておらず、まだ強いと言えます。今回のライブドアショックも、一時的とはいえ市場全体が冷水を浴びたことで、市場の平衡感覚と健全性を保つためによい通過点になったと考えます。


私は、株価はいまだ回復の過程にあると判断します。
ただし、それはいうまでもなく私の判断であり、あなたの判断が別であってもおかしくありません。株価と時代の一寸先は闇です。様々な想定に謙虚な気持ちを保ちながら、そのうえできっぱりとした決断を大切にしていきたいものです。


追記 具体的には、液晶など電子デバイス関連を中心にハイテクに強気、内需関連の主力株は押し目狙いというのが弊社の方針です。